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日本人の言論はあいまいである。 はっきり言えば反発を食う衝動構造だから。 だが殺意をあらわに、はっきり言えば通ってしまう。 日本人は衝動的だからだ。 だから人々は怖がり、逆らわない。 *。 従って日常言論は、ネチネチドロドロしたものになる。 反発を食わない言い方だ。 従って、主張はない。 このすっきりしない日常は、イライラを募らせ、 過激な言論を呼び、 結局過激な非日常を呼び起こし、 国家の行動は過激となる。 *。 ぬるま湯ボケの日常は、過激な非日常を作る坩堝だ。 家で優しいお父さん、職場に出れば過激な強盗殺人者。 この二重人格が日本人の特徴となる。 *。 窓口では賄賂を取らないが、国家の金をすっぽり盗む。 この二重人格が日本人の特徴である。 *。 日本人は、日常性の中に、過激な非日常性を持つ。 日常性においては、非日常性は敵である。 だが非日常性が暴れだすと、 これに支配征服される。 *。 日本人は、非日常性統合失調症だ。 優しい日常性で生活し、いざ非日常の残酷を生きる。 この二重人格性は、統合失調症を意味している。 *。 これが日本人の意識構造だ。 非日常は日常の裏切りであり、転向である。 だがいざ非日常の残酷を生きる。 優しさは、残酷を結晶する坩堝であった。 *。 皆ニコニコし、しっかり挨拶し、優しく暖かい。 これが残酷を結晶する。 *。 即ち、優しさと暖かさは、過激な残酷を作る手続きだ。 即ち、優しさと暖かさは、強盗殺人である。 *。 日本世間は、対偶対称性をきれいに保存している。 優しさと暖かさは、過激な残酷を生む手続きである。 強盗殺人を目的として、優しく暖かい手段をとる。 *。 即ち草履伝説が日本構造だ。 人の感情を焼き尽くして占領支配し、 相手の身体を殺し尽くして、 その生命財産を奪い尽くす。 *。 三光作戦は、衝動対偶性の結晶だ。 これが日本人の生き方だ。 世界を喧嘩闘争する宿命だ。 いや自分とも喧嘩闘争しなければならない。 これが立身出世だ。 *。 立身出世は、三光作戦の言い換えだ。 いい学校いい会社は、三光作戦であった。 *。 相手を焼き尽くし、殺し尽くし、奪いつくす。 それは自分を焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くすことでもあった。 自分と相手を、焼き尽くし、殺し尽くし、奪いつくす。 ここに国家がある。 これが日本国の作り方であった。 *。 日本国は、人々が焼き尽くし、殺し尽くし、奪いつくした結晶であった。 そこに何がるのだろう。 全体なき部分がある。 結局、日本はごみの山だった。 |
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